プロフェッションフッドから気付く看護倫理とは?

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プロフェッションフッド(profession hood)とは聞き慣れない言葉だ。

hoodとは、性質や状態あるいは集団を表す名詞を作る接尾語なので、Profession=専門職の後ろにhoodが付くことで、専門職としての性質や状態をさすことになる。

しかし、それだとプロフェッショナリズム=専門職性とどう違うのかという問いが必ず出てくる。それをプロフエッションフッドの提唱者であるStyles “は次のように説明する。

看護専門職として看護師に自覚を与える看護

プロフェッショナリズムとは、ある専門職がどのような性質から成り立っているのかを表わす。

そのー方で、プロフェッションフッドは、専門職メンバーの一人一人の特質に着目しており、看護という鏡に最も大切な姿として映し出される私たち自身のイメージなのだと。

看護の価値を伝えるポスター

つまり、プロフエツショナリズムは社会がその職業をどのような視点で専門職とみなすのかに焦点が当てられており、プロフェッションフッドはその専門職のメンバー、一人一人が自分たちの職業をどのように引き受けているのかが注視される。

看護の質の向上に貢献

Stylesは、惜しくも2005年にガンで亡くなったが、その訃報がNew York Timesにも掲載されるほど、1970年代から1980年代にかけて看護の質の向上に貢献した人物である。

30年以上も前のアメリカ看護界は、看護を量的にも質的にも充実させ、社会的地位を向上させるために懸命であった。その旗揚げをした一人として、Stylesがプロフェッションフッドという言葉にこだわり、看護師に専門職としての自覚を強調したことは理解できる。

「看護専門職のメンバー、一人一人のプロフェッションフッドを通してしか看護の専門職性の確立には行き着かない」という主張からは、看護の仕事が専門職として社会に認められたかったら、専門職として何を大事にしているのかを各人が自覚すべきなのだという彼女の深い思いが聞こえてくる。

その後、StylesはICN (国際看護師協会)会長にも選ばれた。そして、彼女の意志と行動、すなわちStyles自身のプロフエッションフッドはアメリカのみならず、世界中の看護師に影響を与えることになった。

Professionhoodを一成する5要素

  1. 社会的意義
  2. 最高で最上の仕事へのコミットメント
  3. 同僚性・集合性
  4. 自己実現・自己成長
  5. 倫理・道徳規範の遵守

日本の看護師のプロフェッションフッドの5要素

プロフェッションフッドを表す基本的な態度をStylesは3つ挙げているが、それらに「自己実現・自己成長」「倫理・道徳規範の遵守」の2つを加え、プロフェッションフッドの5要素が日本の看護師には備わっているとされる。

.「社会的意義」とは、看護の仕事が個人や社会に役に立つことや、看護の普遍的な価値や可能性を認識したりすることをいう。患者・家族あるいは地域の人たちから感謝の言葉をもらったり、患者の回復に看護の力が活かされたと実感したりすることがこれにあたる。

.「最高で最上の仕事へのコミットメント」とは、各人が持っている知識や技術をその人なりに質的にも量的にも最善を尽くして提供することをいう。経験年数の違いや領域の違いなどにより”最善”がどこまでなのかは異なるだろうが、あくまでもその人なりに一生懸命看護することをいう。

.「同僚性・集合性」の同僚性は、看護師として尊重し合い仲間意識をもって互いに高め合ったり批判し合ったりすることをいう。集合性は、一人ではできないことであっても一丸となって成し遂げようとすることをいう。

.「自己実現・自己成長」とは、看護の仕事を通して自分が成長していると感じることをいう。自分が患者をケアしているつもりが、反対に自分の方がケアされていたといった感覚をもつことがある。

この仕事で本当によかったなあ、と感じるようなことがこれにあたる。

.「倫理・道徳規範の遵守」とは、看護が普通なら目にしないような患者の生き死にや生活に入り込む仕事だからこそ、人を人として尊重し、敬虔な態度を保とうとする姿勢をいう。

看護の仕事を誇りに思えるか

戴帽式何年か前の自分と今の自分とを比べると、たしかに知識や技術は格段に上がっていることに気づくだろう。

上司や同僚、さらには他の医療チームの人たちとのコミュニケーションもスムーズにとれるようになったとわかるだろう。それだけでなく、実は表面には出てこないプロフェッションフツドもいつの間にか味わい深いものになっている。

ただ、プロフェッションフッドは何かの形や現象として見えるとは限らないため、どのように醸成されてきたのかに自分ではなかなか気づかない。

それがインタビューによって次のように表現された。

「もうダメだって思っても、今までは、最後にたどりつき戻ってくる気持ちが”看護を誇りに思える”ことだったので、これからもそうだったらいいなと思います。人の役に立ちながら、結局それが自分の成長につながるというか、反映して返ってくるところやゴールがなくて、何年経っても目標とかビジョンとかを追い続けられるところが誇りに思えることかなって思います」

人の役に立つ仕事と思えるか?

これは、5年目の看護師に「看護の仕事を誇りに思えるか」と聞いたときの言葉である。

普段、自分の仕事が好きかどうかを考えることはあっても、誇りに思うかどうかを聞かれることなど滅多にない。このインタビューを受けたとき、彼女は、5年の間に何度もくじけそうになったのに、こうして今でも看護に向き合っている自分がいるのはなぜなのだろうと問い直し、あらためて自分の立つ位置を確認している。

人の役に立つ仕事だという実感(社会的意義)、その仕事を通して自分が成長するという喜び(自己実現・自己成長)、そして新たな成長に向かう楽しみ(自己実現・自己成長)があるから彼女が看護を引き受けているのだなあということが如実に現われている。

6年目の看護師のプロフェッションフッド

今度は、6年目の看護師のプロフェッションフッドの一部を紹介しよう。

次の言葉は、看護に対する気持ちと、この先の仕事をどうするのかを聞いたときの語りである。

「看護はずっと突き詰めたり考えたりしていたいものだし、そういうのに値する。だけど、自分が臨床に向いてるという自信がもてない。周囲の看護師との違いをすごく感じて。だから自分がこの先どうして看護をやっていうたらいいかなっていうのを悩んでいるところです。若いときは、自分が一人前じゃないから大変に感じるんだって思ってたんですけど、5年目になっても、6年目になっても自分の緊張感とか、怖さとか大変さとかが変わらない部分があるなって思って。これは向いてないからなのかなって。周りの人は、全然そんなことはないって言ってくれるんですけど。でも、もうちょっと自然な精神状態で続けていけるんだったらいいんだけど、いつもすごいパワーを使って、なんとかこの状態を維持しているような気がするんです」

どうやって看護を続けようかと悩んでる

看護が好きで意味ある仕事だと思えても、この人のように臨床の看護師としてしっくりこない感覚をもつこともありえる。

看護を突き詰めていきたい(最高で最上の仕事へのコミットメント)という気持ちはあっても、病院勤務の看護師としては突き詰められないのではないかと考えている。

同僚に認められているのに(同僚性・集合性)、無理してパワーを使っているという感覚があるからだ。日々の看護の中では役に立っている社会的意義)と感じることもあろうが、6年経っても緊張感や怖さがぬぐえず、臨床看護師に向いていないという自覚は役立ち感を十分に認めさせてはくれない。

だからといって看護から離れたいと考えているのではなく、むしろこの先どうやって看護を続けようかと悩んでおり(自己実現・自己成長)、彼女の中には確実に看護がある。

自分に気づき行動してしまう

看護の仕事はこんなものだと割り切って仕事を続ける人もいれば、彼女のように無理している自分に気づくこともある。

それもキャリア上の大事なー瞬だ。ちなみにこの人は、その後数ヶ月して臨床を離れるという選択をした。今でも、自分の仮定する「看護師らしき」を模索中のようだが、彼女が選んだ新たな仕事も看護に深く関わる仕事だと聞いている。

確立するプロフェッションフッド

プロフェッションフッドのありようは、しばらくの間変わらないでいることもあるだろうが、明らかに変化することもある。

たとえば、新人看護師の場合、リアリティ・ショックを受けて無能感に苛まれたり、先輩との関係性をうまく築けなかったりすることがめる。そんなとき、プロフエツションフッドの5つの要素すべてが低下したり、感じられなくなったりしてしまう。

リアリティショックについては、「看護師はリアリティショックをなぜ受けるのか」の記事で詳細を見て頂きたい。

あるいは、医療ミスを起こすと、人の役に立つはずの看護の仕事を通して人を傷つけてしまったという思いが、仕事を通して人を傷つけてしまったという思いが、「社会的意義」を硬直させてしまうことが明らかになっている。

看護師のキャリアを支えている

もう少し日常的な出来事、たとえばひどく疲れていたり(「最高で最上の仕事へのコミットメント」ができない)、看護師として謂れ無き中傷を受けたり(「社会的意義」が感じられなくなる)、全力を尽くさない仲間がいたり(そんな仲間とは「同僚性・集合性」を築きたいとは思わない)しても、それぞれプロフェッションフッドは揺れ動く。

また、医療ミスを起こして「社会的意謝を硬直させても、周囲の適切なサポートによって救われた感覚を持ち、苦い経験を後輩指導に活かそう
としたり(「同僚性・集合性」を育む)、、次には同じミスを起こさないようにしようと気持ちを引き締めたりしている(「最高最上の仕事へのコミットメント」を心がける)ことからも)、プロフェッションフッドはいろいろな姿を見せながら看護師のキャリアを支えていることがうかがえる。

苦しむことがプロフェッションフッドになることもある

看護の社会に身を置いたり看護実践を行なったりすることを通して、悩み、もがき、考えることは多々ある。喜び、感激し、満たされる気持ちになることもたくさんある。

それらはすべてプロフェッションフッドそのもなることもたくさんある。それは普遍的ではないし、必ずしも右肩上がりに伸びていくものでもないが、いつも自分といっしょに在る。

あなたのプロフェッションフッドとは?

プロフェッションフッドは、個々の看護師が看護をどのように引き受けているのかに焦点が当たっていることを先に述べた。

つまり、看護師の誰にでもその人なりのプロフェッションフッドがあるということだ。そんなこと言われても…と思われるかもしれない。しかし、これまで何度もプロフェッションフッドを聞き出すためのインタビューを試みてきた経験上、間違いなく言えることがある。

それは、皆本当は、プロフェッションフッドを語りたいと思っているということだ。正確に言うならば、最初は語りたいと思っていないかもしれないが、いったん語り出すと止まらなくなる。

キャリアの研修時に演習として実施しているはず

このインタビューは、キャリアの研修時にもよく演習として実施している。演習方法はきわめてシンプルなもので、二人一組になってもらい、互いにインタビューし合うというものだ。

看護師になった動機から始まり、経験を積むことの意味や、これまで最も印象深かった体験などを順に聞いていく。この面接ガイドラインのオリジナルは、この3倍くらいある。

インタビューが始まる前には、何をいまさら看護師になった動機なんて…という、はにかみと、多少醒めた視線を受けるのだが、いったんスタートすれば話すば、話して話し続ける。

自身のプロフェッションフッドを確認する

自分のプロフェッションフッドを確認することは、看護師である自分に向き合うことを意味する。自分が語り出す言葉が、自分がなぜ今看護師をしているのか、そして明日への第一歩をどう考えるのかを教えてくれる。

考えてみれば、学生時代や新人時代はともかく、自分が看護師になった動機など、もう誰も聞いてくれる人などいない。

年数が経つと、自分が看護をやっていることの意味だとか、何を自分は大事にしながら看護に向き合っているのだろうかとか、今まで一番うれしかった(そして、つらかった)看護体験ってどんなことだったのだろうかという振り返りと内省の機会が少なくなる。

だから、話し始めると止まらなくなる。もっと聞いて欲しくなる。それだけ看護の仕事には語ることがたくさんあるということなのかもしれない。

誰かに打ち明ければ必ず理解できる

これを読まれた機に、一度そういったことを考えてみてほしい。できれば頭で考えるだけでなく、誰かに語れれば最高だ。きっと熱い何かが湧き出てくるはずだ。

まとめ 「プロフェッションフッド面接ガイドライン」

  1. 簡単に自己紹介をしてください。
  2. 看護師になった動機をお聞かせください。
  3. 今、あなたは自分を一人前の看護師と思われますか。それはなぜですか。
  4. 経験を積むことは、あなたにとってどのような意味がありますか。
  5. 自身の看護能力をどのようにとらえていますか。
  6. 得意な分野や技術はなんですか。
  7. 苦手だけれどもしなくてはならないことがあるとき、それに対して、普段はとのように対処されていますか。
  8. あなたがよい看護をするために、どのようなサポートが必要ですか。
  9. あなたが実践してきた中で、一番素晴らしかったと思える看護はどのようなものでしたか。それが今の自分にどのように影響していますか。
  10. あなたが看護職として大切にしていることは何ですか。なぜそれを大切にしているのですか。
  11. これまでの看護職としての体験の中で、最もつらかったこと、あるいは悲しかったことをお聞かせいただけますか。
  12. あなたにとって看護とは何ですか。
  13. 今後も看護職を続けられますか。

 

是非一度試していただきたい。何かがあなたを変化させるはずと確信しています。

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