看護師はリアリティショックをなぜ受けるのか

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リアリティショックを看護師は受けるのか

ある時期、大学に勤務し学生の就職担当をしていた。そのせいか、卒業後もキャリア上のことで相談があると連絡してくる人たちがかなりいた。

これまでいろんな相談にのってきたが特に気になるのは、就職して2、3カ月のうちに身体症状や精神症状、あるいはその両方を呈していると言ってきた卒業生だ。


たとえば、病棟に出ると蕁麻疹様の発赤が体中に出る人、過呼吸になる人、不眠症になる人などがいた。

だが、そのほとんどが一時的なショックであり、やがて回復する。こういう症状を呈する人たちに、何らかの共通性があるかどうかは定かでない。ただ言えることは、これらの症状は看護師になって初めて出たということだ。それ以前には一度もなかったことなので本人たちもびっくりしている。

それくらいストレスの強い体験が、看護ワールドへの参入だ。

看護に関する仕事に関わっていたい

ナースステーションどうしても症状が消えない場合は、まず休職となるが、思い切って退職に至る例もある。その後周囲のサポートを受けながら、ゆっくり自分のキャリア・アンカーについて考えたときに、彼女たちの出す結論のほとんどは、やっぱりどこかで看護に関する仕事に関わっていたいというものだ。

2つ目の職場では保健師になったり、診療所の看護師になったりすることもある。再就職後に届く便りからは、心身ともに安定した様子が読み取れる。だから、離職することを、あながち最悪のケースと呼ぶことはできない。むしろ、最善のケースにもなり得るわけだ。

だが、現場では、明らかなストレス症状を呈する新人看護師を「不適応」と呼ぶ。その看護師個人にとって退職がべストであっても、現場からみれば「不適応」で辞めたということになる。たしかにその通りだが、響きが悲しい。

新人看護師はどうか

それでは、その他大勢の新人看護師はどうか。心身の症状は出なくても、そのほとんどが、多かれ少なかれ何らかのショックを受けているようだ。筆者らが行なった面接調査に協力してくれた14人の新人看護師は、いずれも学生時代から研究協力に同意しており、その時点では就職後にショックが生じるかどうかわからない人たちだった。

だが、結果的に、就職後3カ月以内に全員がリアリティショックを受けていた。

なぜ、看護師がリアリティショックを起こすのだろうか?

そう聞くと、「そりゃ、現場はたいへんだからね」という言葉でひとくくりにされそうだ。しかし、普通に考えると、看護師は基礎教育のうちから専門的な知識や技術を教わり、何週間も臨地実習に行っているわけだから”リアリテイ(現実)”をわかっているはずだ。それなのになぜなのか?

新人看護師のリアリテショックの類型化

  1. 医療専門職のイメージと実際の言動とのギャップ
  2. 看護・医療への期待と現実の看護・医療とのギャップ
  3. 組織に所属することへの漠然とした考えと現実の所属惑とのギャップ
  4. 大学教育での学びと臨床実践で求められている実践方法とのギャップ
  5. 予想される臨床指導と現実の指導とのギャップ
  6. 覚悟している仕事とそれ以上にきびしい仕事とのギャップ
  7. 自己イメージと現実の自分とのギャップ

2リアリティ・ショックが生じる原因とは

リアリティ・ショックに関する研究は、経営学や心理学の分野をはじめ、数多くなされてきたが、看護系の文献で最もよく引用きれるのは、Kramerであろう。Kramerは、リアリティショックを

「思いがけないこと、求めていないこと、あるいは望ましくないこと、そして最も辛い場合には耐えられないことに対する人間の社会的、身体的、そして情緒的な反応の総体」と定義している。

そして、その原因については、専門職と官僚制との狭間に立たされた役割葛藤から生じると考察している。これは、専門職とはこうあるべきだと教わったやり方が、現場では時間の制約による合理性、効率性が優先されるためにできなくなることをさす。私らの研究では、学生時代と新人看護師になってからとのギャップを7つに整理し、リアリティ・ショックが生じる原因を明らかにしている。

1つ目の「医療専門職のイメージと実際の言動とのギャップ」とは、学校の実習等では、お目にかかるようなことのなかった言葉遣いや態度の悪い医療者や、倫理観の欠如を感じさせるような医療者を目の当たりにしたときに感じるギャップをいう。

2つ目の「看護・医療への期待と現実の看護・医療とのギャップ」とは、この病院ならこういう医療が行われているだろうとか、こんな看護が展開されているだろうと期待して就職したのに、実際に行われていることはそのごく一部であったり、一部の人だけに見られるものであったりしたときに感じるギャップである。

3つ目の「組織に所属することへの漠然とした考えと現実の所属感とのギャップ」とは、自分は就職して社会人になるのだということを頭で理解していても、休日に病棟会のために出勤したり、早く出勤して患者の情報収集したりすることで、所属職場の一員として認められていくプロセスがあると気づいたときに感じるギャップである。

4つ目の「大学教育での学びと臨床実践で求められている実践方法とのギャップ」とは、基礎教育でべストだと学んだ方法を必ずしも臨床で実施
されているとは限らず、ここでのやり方はこうだからと現場で指導されるときに感じるギャップである。

5つ目の「予想きれる臨床指導と現実の指導とのギャップ」とは、厳しい医療現場においては指導もそれなりに厳しいということは覚悟しているものの、人格や存在を否定されるような発言や理不尽な物言いにダメージを受けるようなギャップをいう。

6つ目の「覚悟している仕事とそれ以上にきびしい仕事とのギャップ」とは、仕事の大変さや厳しきを頭の中で理解していたつもりでも、実際の現場における大変さや厳しきが想像以上のものであると感じた時のギャップである。

7つ目の「自己イメージと現実の自分とのギャップ」とは、技術的なことは難しくても何かしら自分にできることがあるだろうと思っていたのに、現場では本当に何もできないと感じたときのギャップをいう。

リアリティショックの原因を消去させる

たしかに、新人は思いもかけない状況に出くわし、学生時代に教わったセオリーとは異なる現場のやり方を強いられ、慣れない交代制勤務につらい思いをする。だから、リアリティ・ショックは起きてしかるべしだ。

しかし、不思議に思うのは、リアリティ・ショックの原因がはっきりしているのなら、それらをなくせばいいではないか。なぜ、リアリティ・ショックが日本で最初に紹介されてから20年以上も経つのに、いまだに同じ現象が繰り返し起きているのかがわからない。

この現象について、臨床側、教育側、新人看護師の三者の視点で考えてみたい。

なくならないリアリティショック

うがった見方だという批判を覚悟で、臨床側の根底にある考えをあえて取り出してみよう。現場では、明らかな不適応症状はともかくとして、リアリティショックは一種の通過儀礼だと思っている。

交代制勤務への身体的適応、現場のやり方に慣れること、病棟の文化に入り込むことなどは、どれをとっても新人にとって大なり小なり負担であったり、ショックを生じさせたりするとわかっているはずだ。なぜなら、同じような経験をどの看護師もしてきたのだから。

けれども、そういうショックを乗り越えなけれぱ、「看護師」だと言えない何かがある。もっと言えば、「〇〇病院の看護師」だとは言えない何かがある。こういうショック(苦労)を乗り越えてこそ一人前だという不文律があるから、ショックが起きていることは重々承知の上で見守っているように思える。

もちろん、人的資源管理の面から、プリセプターシップを導入したり、新人教育に力を入れたりするなどしてショックができるかぎり軽減されるような工夫が凝らされているのは間違いない。だが、学校教育とは違って、生きた現場ではこれくらいのショックは当然で、乗り越えてもらわなきゃ困るというのが本音ではないだろうか。

看護の理想やあるべき姿を教えなければならない

新人看護師を送り出す教育側は、リアリティ・ショックが起きることがわかっていながら「リアリティ」を伝え切れていない。たしかに、医療事故対策、個人情報保護法対策などの厳戒体制が敷かれる中、実習現場において学生に体験させたくてもできなくなったことがたくさんある。

かつての看護教育を思えば、今の教育では現場体験が極端に減少していることは否めない。だが、リアリティを伝え切れていないことの本質は、実習時間が減ったとか、患者に侵襲の伴う技術をさせられなくなったといった具体的なことではないように思う。なぜなら、リアリティ・ショックについては、カリキュラムが改正されるずっと前から指摘されているのであり、教育内容が変わって突然生じるようになったのではないからだ。

教育では、看護の理想やあるべき姿を教えなければならない。年数に差こそあれ、看護教員もみな臨床経験を経ている。まったく現場を知らずに看護の現象を説明しているわけではない。教員は、現場にいたときに判断したことや感じたことや、きちんと説明したいと思っていたのに多忙を理由にできなかったことを言語化し、体系化させて「看護とは何か」を学生に伝えたいと思っている。

1人の患者さんだけを担当するという現場ではあり得ない方法を教育で採用しているのも、1人に対してできうる限りのことをする体験をしておかなければ、何が看護の可能性なのか、本質なのかを考える力を養えないと考えているからだ。だから、新人看護師がリアリティ・ショックを起こすであろうことは危惧しながらも、学生にはあるべき姿を教えている。

まとめ

多くの場合、看護師としての将来像や夢は、在宅看護に携わりたいとか、大学院に進学したいとか、救急のスパシャリストになりたいといったように長・中期的な視野に立っている。そのため、ショックは受けるだろうが、そのうち何とかなると思っているし、実際、なんとかなる人のほうが多い。

そうして、なんとかなった人たちが、やがて今度は新人看護師をサポートし、ショックを受ける人たちを「なんとかなるからね」という目で見守る側になるのだ。

このように考えると、リアリティショックがなくならないことの説明はつく。むしろ、適応できるショックなら、なくならなくてもよいのかもしれないとさえ思えてくる。だが、何をリアリティととらえるか、どの程度をショックと感じるか、あるいはどのように適応していくのかは十人十色だ。

ある人にとっては一晩寝れぱ済むことでも、別の人にとっては非常にシビアな問題だってある。だからやっぱり、臨床側も教育側もリアリテイ・ショックを軽滅するための取り組みを考えなきゃいけないし、相互に情報を発信・交換しながら体系的な方策を打ち立てないといけないのだと思う。

この記事では、リアリティショックという現象がなくならない理由について三者の立場から考えてみたが、次の記事ではそういう三者の立場を作ってしまった背景について、「社会化」をキーワードに論じてみたい。

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コメント

  1. 西教 より:

    私は1年前まで病院に勤務していました。その病院では毎年60人から100人近い看護師が退職します。しかし病院は先端治療を行っており教育システムも充実しているためか看護師からは人気があり毎年退職者と同じ人数の看護師が就職してきます。その中でリアリティーショックで退職していく看護師を何人も見てきました。心身ともに疲れきって心療内科に通い自殺企図で搬送されてくる看護師も何人もいます。一度そのような状態に陥った人はすぐには回復せずにその状態を繰り返す人生を送る人もいます。そう感じるのは、職員ばかりではなく通院あるいは入院患者の中にはそのようなケースで同じことを繰り返す看護師を患者として、よく見かけるからです。単純に乗り越えられるものでしょうか。能力の違いや厳しさの度合いも部署によって違います。精神的な挫折はその時だけではなく人生に影響を与えかねない。本人の性格と言われればそれ以上言うことは何もありません。別の病院で働いているときも同じことがたくさんありました。「二度と看護師はやらない。」と言い退職した看護師もいました。
    別のことになりますが、毎年、新卒生がおこすインシデントはほぼ内容は決まっているのです。インシュリン、輸血の保存方法、点眼薬、等々、これら同じことを繰り返していることに疑問を感じて教育の現場から何かできることは無いかと教員になりました。
    しかし、現実は恐ろしいものでした。これでは、これからも変わることは無いと感じました。
    教育と臨床はあまりにも乖離していたのです。
    教員はリアリティーショックとは臨床現場の看護の質の悪さが原因だと主張しています。
    指導している内容は、清拭、足浴、洗髪、手浴、爪切り、洗濯、
    すべての実習で毎日この繰り返しです。教員20年経験者の実習調整者は言います。「病態の理解は看護とは別。学校は看護を教える。病態は臨床に出てからやればよい。ヘンダーソンの14項目がわかればよい。充足、未充足の理解が重要。知識よりも保清が優先。記録は臨床に出てから苦労すればよい。」と。
    准看護学校時代からから勤務しておられる先生なので今後も変わることは無いでしょう。
    実習病院からは、ヘルパー養成所だと陰口を叩かれています。
    現在の医療現場でこのような教育を受けて仕事ができるはずがないと思います。

    教員のいう臨床現場での看護の質が向上しない原因の一つは、新卒者が臨床現場で動けないこと、記録できないこと、など新人教育に現場は疲弊していること、その新人教育と現場の業務の責任の大きさに中堅も離職していく現実があること。そして、看護師が定着しない病院の現場では新人職員が半数近い状態で仕事をしており、現場がこのように動いている以上、質の高い看護はなかなか提供できないのではないかと思います。その現実から新卒者はリアリティーショックを感じることは当然あるだろうと思います。病院にもよりますが・・・悪循環です。今後も変わることはなさそうです。教員は何十年も臨床では働いていませんから医療が看護師に求めることの内容が大きく変わっていることに気付くはずがないのです。
    教員は、病院が悪いといい、実習病院では学生は看護師に指導を受けられないことも多く、なかなか相手にされない。臨床看護師は学生指導に手をかけていられない。この現実から教員は臨床の看護師に対し不満を感じているのです。臨床看護師と教員は常に対立しており、不毛な争いで現場はよくならないばかりか、看護師教育はどうなっているのか・・・教員と臨床看護師は協力してこの乖離している状態を何とかして看護学生や新卒背が続けられる工夫はできないものかと嘆いています。
    この現状を変えるにはどうしたらよいでしょうか。

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